第2回 みなと再生委員会

e381bfe381aae381a81大正11年 1912年 今治港は外国貿易船が自由に出入りできる四国初の開港場となりました。今治港が整備されたことにより工業都市今治は「東洋のマンチェスター」と言われ発展をしていきます。港は今治の玄関口として人・物があふれ、交通の要として市民になくてはならないものでした――。

 

『たいへい丸・るり丸・アイボリ丸・コバルト丸・ゆふ・まや・尾道鉄道連絡船・今治三原国道フェリー・おくどうご・ホワイトさんぽう』

これらの船の名前に覚えはありませんか・・・あの日あの時今治を巣立つ時、船の中で涙した思い出はありませんか?

時代の変化と共に港のもつ重要性も変化し、港はだんだん私たちの生活から離れていきました。 

港湾ビルの老朽化・定期航路の減少――最盛期の1947年に300万人の利用があった港も平成19年には54万人――。

港に新しい価値を見出し、再生させることが急務となっています。

 

第2回みなと再生委員会 平成19年4月13日

e291a1efbc93

e291a1efbc91

 第二回の委員会には当時日本代表の監督ではなかった岡田武史氏も委員の紹介により飛び入り参加しました。岡田さんは公共施設の重要性を語られ、かって日本では寺社仏閣がその役割を担っていたとおっしゃりました。

 e59bb3e381bfe381aae381a8e291a1efbc922 

 

e59bb3e381bfe381aae381a8e291a1efbc917 

 

まず委員会が目指すのはコンセプトづくり――方向性を模索します。

今治市のもつ魅力・中心市街地と港との関連性・港の現状などさまざまな角度から

港を眺めコンセプトを決めていく下地づくりが行われました。

 

e291a1efbc92その後太田委員から「建築と公共空間によるまちづくり」という視点から都市開発事例が紹介されました。

世界的に公共空間の重要性が見直されていることを踏まえ、港・お城・市役所・駅を点で

とらえ、それぞれをどのように回遊してもらうかという考え方は港を再生していく上で大変参考になるものでした。