みなと探検パフォーマンス③

e291a3efbc971ミッション④の指令は《船に乗って今治港と帆船「海王丸」を海から確認しよう!》です。

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しまなみ海道の開通とともに、大幅に減少した船の利用者。どこに出かけるにも車が主となり、船に乗る機会は減っているのが現状です。小学生の中には、船に乗ったことのないお子さんもおられるのではないでしょうか。e291a3efbc92

 

そんなお子さんに船に乗り海から今治港、そして蔵敷埠頭に停泊している海王丸を見る機会を作ってみました。

当日の船の船長さんはとても、サービス精神旺盛な方で、普段体験できない船の醍醐味を感じることができたようです。

 

 

 

ミッション④のカードに記されている内容は・・・

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道路が発達し、本四架橋が開通するまで、港湾ビルは市民の出会いや別れの場所でした。今治を離れるとき、訪れるとき、帰ってくるとき、港湾ビルのマリンブルーの壁を見て、「ああ、今治だ」という郷愁を感じていました。

尾道、三原、呉、広島、神戸、大阪、別府、大分など本州や九州の各地と今治港が結ばれていました。

 

 

 

平成21年5月21日23日。西日本で初めての国際海事展覧会BARI-SHIPが開催されます。

今治は、日本の外航船2,009隻の約30%に当たる600隻を市内の船主が保有。内航海運の船腹量は、国内の7%のシェア。

造船業は全国一の集積を誇る18事業所、建造隻数では国内の15%を占めています。

 

大型練習帆船「海王丸」は、「日本の海の王者たれ」と、昭和5年2月14日進水しました。 世界の人々からは「海の貴婦人」と賞賛(しょうさん)され、愛され親しまれています。

 

e291a4efbc91ミッション⑤の指令は《港湾ビル展望台に上がってみなと再生エリアを確認せよ!》です。

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ミッション⑤のカードに記されている内容は・・・

 

 

 

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今は閉鎖されている今治港湾ビルの展望台。1日だけ解放し、みなと再生エリアを確認します。この示されているエリアを再生する予定です。

 

 

 

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港に直結している商店街は珍しく、四国では松山市の三津浜港と今治だけです。

船を降りて商店街を歩く・・・。

入口の新町商店街には鮮魚店や蒲鉾店が並んでいます。

今は人通りが少なくなってしまった港周辺を再生し、賑わいとトキメキを創e291a4efbc91efbc90り出そうと今治市は「みなと再生事業」を推進しています。

そのコンセプトは「交通の港から交流の港へ」です。

 今治港は、船の発着点であると同時に、路線バスのターミナル拠点でもあります。港から駅へ、市内各地へ、松山や新居浜へ、今は神戸や大阪、東京への長距離バスも発着しています。

 

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港湾ビルの前に石柱が建っています。飯 忠七(いいちゅうしち)さんです。

明治時代に大阪への押切船を開始し、航路を開設。特産の白木綿の交易を拡大し、蒸気船の今治寄港に尽力するなど、明治期の今治の発展に尽くし、今治海運業の父と呼ばれています。

 

 

 

ミッション⑥の指令は《水上交番の隣の徳富蘆花碑を上から見ると何の形か調べよ!》です。

 

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この徳富蘆花碑を上から見るとどうなっているのか・・・徳富蘆花はクリスチャンであったことから、十字(クロス)になっているのを子どもさんにも見てもらおうと、碑の前に工事用足場を組み、上からのぞけるようにしました。

 

ミッション⑥のカードに記されている内容は・・・

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徳富 蘆花(とくとみろか)さん

小説「不如帰(ほととぎす)」で有名な明治の作家。徳富蘆花は、今治を三度訪れている。最初は明治11年(1878)の夏、二度目は明治143月から翌年の6月までの14ヶ月。キリスト教の伝道を手伝うとともに、教会が運営する今治英学校で教鞭をとり、その思い出が、小説「思い出の記」や「黒い眼と茶色の目」に書かれている。三度目は大正7年(1918)、3日間今治に滞在。「蘆花日記」にこのことを記した。

 

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e291a5efbc921徳富蘆花碑にはシビックプライドが天こ盛り!

設計は丹下健三、揮毫(きごう)は村上三島、撰文は和田茂樹。

村上 三島(むらかみさんとう)さん

上浦町出身の書道家。従三位勲三等旭日中綬章。

文化勲章受章者。

昭和2427年、日展で特選を受賞する。また、毎日書道展や日本書芸院展などに作品を発表し、昭和39年「秋分思子」で日展文部大臣賞。昭和43年「杜甫贈高式顔詩」で日本芸術院賞を受賞する。

 

丹下 健三(たんげけんぞう)さん

「世界の丹下」と言われ、日本人建築家として、最も早く海外でも活躍し、認知された一人。 第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。また磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの世界的建築家を育成した。 従三位勲一等瑞宝章、文化勲章受章。フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章。

和田 茂樹(わだしげき)さん

松山市出身の国文学者。京都帝国大学卒業後、愛媛師範学校教授、愛媛大学助教授・教授、松山商科大学教授などを歴任した。正岡子規に関する研究だけでなく、郷土文学研究に功績を残し、1981年から1996年まで松山市立子規記念博物館の初代館長を務めた。

 

シビックプライドとは、従来の愛着心や郷土愛よりも一歩進んで大好きな今治のまちづくりに参加する自負心のことを表しています。

郷土の偉人を顕彰し、外に向かって発信し、子どもたちに伝えていくことは、大切なシビックプライドです。