商店街未体験トラベル 報告② 総合受付

商店街の入り口にある所(旧NOVA)を今回の総合受付としました。

ここではビンゴのハンコを押すと共に、2月14日に行われているイベントを網羅したパンフレットを配りました。

その他に『えびすぎれ』の歴史が解るコーナーを設置しました。

内容は次のとうりです。

えびすぎれの歴史

毎年、2月の上旬、今治市本町・銀座商店街で呉服の大安売りが行われます。130年余りの伝統を誇る今治の早春の風物詩「えびすぎれ」です。

えびすぎれは、明治5年ごろ、大島出身の矢野用助氏が、奉公先の大阪で見聞した「今宮の十日戎(えびす)」にあやかって始めた年に一度の「呉服物の大安売り」が始まりで、特に端切れが大特売だったことが名前の由来だそうです。創始のころは「十日えびす」と呼ばれ、旧暦正月10日の一日だけの行事でしたが、次第に拡大され、新暦の2月10日を中心に5日間開催されるようになり、最盛期は市内はもとより、県内外から買い物客が訪れていました。現在は、洋服の普及や大型安売り店の進出など環境は厳しくなっていますが、呉服店だけでなく、商店街全体が一斉にえびすぎれに協賛して「えびす市」を行うなど、今なお今治名物として市内外からの人々でにぎわっています。

丸五呉服店 箱崎 勝美さんへのインタビュー

大正12年生まれ、87歳の箱崎さんはお話を聞きにお伺いした時、お店の飾り付けをしている最中でした。ご高齢にもかかわらず、お店に顔を出しています。丸五呉服店は今治で一番古い呉服店で、明治初期の創業です。

 箱崎さんの小さい頃の『えびすぎれ』は今治市内はもとより、島嶼部そして松山市から四国中央市にかけてお客さんが訪れていました。今の交通事情と違った中でこれだけ広くからお客さんが訪れていたということは、どれだけ『えびすぎれ』が愛され浸透していたかを物語ります。島から来られていた方はどうされていたかというと、当時の船はまだ櫓をこぐ船が主流でした。

朝8時に始まる『えびすぎれ』に来るために臨時の船を出し、5時ごろ島を出て来られていたそうです。

 その頃の『えびすぎれ』では、はぎれも多く取り扱っていたそうです。着物を仕立てて残った良質のはぎれはお客さんに渡していました。しかし残りものや使い物にならない30cm~1mぐらいのはぎれは20~30の束にし、それを竹竿にかけ店先に並べ販売していました。お客さんはそのはぎれで人形を作ったり、はぎれを縫い合わせて着物を作っていたそうです。

百年以上なぜ『えびすぎれ』が続いているのかをお聞きした所、箱崎さんは「今治呉服商同盟会の会長は代々、年一回のことだから普段の値段ではいけない。いいものをより安くお客さんに提供する。この事を毎回徹底していた。」「お客さんに愛されたからこそ残っている。全国見てもこれだけ続いている呉服市はない。」ともおっしゃりました。

今治の呉服店が『えびすぎれ』にあわせていいものをより安く売ったから伝統として残り、現在でも京都の問屋さんは協力してくれているのだそうです。

 娘さんができれば『えびすぎれ』の時に安くいいものを買い、嫁にだしていたそうです。

【安心していいものが買える。】

 『えびすぎれ』は今治の呉服商の方々が長年に亘り積み重ねてきたお客さんの信頼の証です。

お話の最後に箱崎さんに「先代から常々言われた言葉は何ですか」とお聞きすると「のれんをけがさない。お客さんの信頼を裏切らない」という言葉をずっと言われ続けてきたとおっしゃりました。

 

 『えびすぎれ』はお客さんからの信頼を受け、そして受け継がれてきた今治の文化なのです。

 

その他のコーナーとして、呉服店から提供していただいた『はぎれ』を使いマイ箸袋を創りました。このコーナーにはマイ箸運動を今治で展開されている「愛が和するyui Green」の合田さんらに協力していただきました。

小学校から借りた8台のミシンはフル稼働。およそ200名の子どもたちがが箸袋を作りました。

32cm四方の布を三角に裁断し、表の生地と裏の生地を合わせ縫い合わせる作業は見ていると簡単そうに見えるのですが、なかなか難しい様子。

お母さん方はミシンを使うのに慣れていないせいもあって箸袋を作るのに30分以上かかった方も多くおられました。

えびすぎれ→はぎれ→箸袋と展開していった発想は多くの方が作り、スタッフは休む暇もないほどの対応になりました。

またエコにも配慮した形がアピールできたのかなと思います。

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