川根振興協議会 行政参画の自治②

昨日に引き続き川根での報告です。

辻駒健二会長さんは1992年から川根振興協議会の会長をされています。

 

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長男だったという理由で川根に帰ってきた辻駒さん。辻駒さんが帰ってきた頃から、川根は過疎へ向かっていっていたといいます。

過疎化で本当に怖いのは『心の過疎』だったといいます。

地域が行政に頼っていてはいけない。といっても誰も耳を傾けなくなっていたといいます。

 

自分のためにどうするのか?地域の共有財産をどうしていくのか?他の地域を見てどう思うのか?地域の合意の中でどうしていくのか?考えたといいます。

 

その頃は自分というものが中心で、まとめる人がいなかったといいます。わしがわしがの時代は議論もなにもなかったといいます。

 

その転機となったのが第一回目のほたるまつりだといいます。

そんなものやっても人がくるのか?やって何になるのか?という声があったものの開催してみると、人が訪れ、来年はどうする?という話になったといいます。

訪れてもらうためには、「道を広げなくてはならない。」という議論になり、行政に頼むのではなく、お金をかけず計画書を創りました。

その計画書を見ると道路周辺の田んぼが削られ、公論になったといいます。

何度も何度も話し合いをしている中で、地域の長老さんが「節操はあるんか?田んぼがつぶれるとは何事か?」とおしゃったといいます。

現地で説明会を重ね、2,3人がしょうがないかと言い出し、道路整備が決定していったといいます。

辻駒さんたちが書いた計画書は行政主導ではなく、自分たちが創った計画書でした。

そうして出来上がった道路は住民主導で創った道路となり、振興会の転機となりました。


それからは地域のことは地域で議論を重ねることが当たり前となったといいます。

役場の言うことはいいかげん。自分たちの責任で何事も行う。

自分らがぼーっとしていれば、役場もぼーっとしている。

要求を洗い出して、回答書を求める形にしていったといいます。

 

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会長の辻駒さんは、「会長としての自分があたりまえのことを言うかどうかだ」と言っていました。

自分がブレると地域がブレる。住民に対しても行政に対してもブレることなく「あたりまえのことをあたりまえに話してきた」といいます。

「カリスマリーダーなんかいない。地域のために出来ることを考えて動けばその人がリーダーになっていく。反対する人がいれば避けずに話をし、その人の持論を引き出しつつ進めればいい。」

ともいっていました。

辻駒さんの後のリーダーはいるのですか?と問うと「いるに決まっている。今の進め方を見ていて出来ることをすすめればいいだけだと」いっていました。

 

地域支援とは30年前にもどし、安心して暮らせるまちづくりに戻せばいい。地域経営は行政はやってくれない。生活のもとまで、自分たちでおこない、行政が参画する地域づくりをしていけばいい。そして自慢話ができるまちづくりをしたいとおっしゃっていました。

 

いつからか、まちづくりを行政の手にゆだねてしまったのでしょうか?

地域が出来ることは地域でする。

当たり前のことにどうやってもどすのかがこれからの地域経営には必要な時代がきています。

要求から提案へ

提案をするにはちゃんと議論を重ねないといけないことを感じました。