Home > Archives > 2010-03

2010-03

第2回 ICPCフォーラム

 

 

基調講演

  講師:野崎 隆一氏(NPO神戸まちづくり研究所 理事事務局長)

 街の再生に必要なもの

  協働や参画とかという言葉が10年くらい前から言われだした背景は今という時代は大きな物語が終わって小さくて多様な物語が始まったという時代の変化が起こっています。大きな物語は戦災後、国として経済を立て直す必要があるという大きな目標があって個人も自分が働く事が国の復興に繋がるんだという大きな視点がありました。それが、復興が終わって、繁栄し、バブルが弾けて経済の停滞期に入ってきています。今はそういった大きな物語が終わって先が見えない状態になっています。いろんな地域で自治会や地域の組織を担っている方々は皆さんが何を考えているかわからないという状態です。 個人個人で様々な価値観を持っていて、地域全体を考えて活動するような状態ではない。悪く言えば身勝手な人が多くなり個人の価値観が多様化してきて自分のやりたい事がそれぞれ違ってきています。大きな目標を掲げて何かしようとしてもやりづらくなっています。ハードを作ろうということになってもなかなかすんなりいかなくなっております。そういう時代だからどうすればいいのかということで、協働や参画が言われてきました。大きい物語があったときは行政が総合計画を立てて、10年後にこうなっているから今こうしているんだというのが明確でした。ところが、今は10年後、20年後の今治がどうなっているかを明確に言える人がいない。どういうことが必要かというと多様な価値観を持った人達が互いに考えながら集約していくことが必要になってきます。

  協働とは行政と市民が役割分担することではありません。行政がプランニングして市民が実行していくことではありません。我々も円卓会議をしながら行っていますが、市民側が一番大事にしたいことはプロセスですね。行政がこういうことを遂行したいという時にはこんなプロセスのデザインをしてこういうステップを踏むという事を共有して私も神戸市民参画推進局の局長と座談会での話では行政は予算を使わないといけない立場なので計画通りの遂行の必要がある中で我々市民側は趣旨が貫徹すれば形は変わってもいいではないか、むしろ市民といろいろ議論した結果修正でもいいのではないかという議論をしましたが、多様な価値観を持った人が集まる場合でもプロセスを重視して共有していくと段々集約していきます。こういうまとまっていくプロセスを大事にしていただきたい。

  今日のワークショップもプロセスを経ながら共有のステップを経て全体としてはこういうイメージだというのを共有することの一環としてワークショップに臨んでいただいたらと思います。

 

大きな物語から小さな物語への転換と人口減少社会の始まりでもあります。以前は人口も増え、税収も増える前提で様々な計画が立てられていましたが、2年ほど前から人口減少に転じています。そうなってくると全てが衰退や消滅などネガティブな判断しか出来なくなります。大事な事は減少局面になった時に物差しを変えないといけません。それをしないと未来が見えなくなる。成長から成熟へ、消費から循環へ活性化から持続可能な社会へという変更が求められます。ICPC大きな活動をされていますが、新しいブランドはすぐに作れるものではありません。無理に作ったブランドは支える力がないと衰退していきます。それよりも小さな活動をたくさん起こして繋げていく方が大事だと思います。ICPCに集まったデータがそれぞれのフィールドで小さな活動を起こしていく。それがICPCにネットワークとして繋がっていくという事がないと地道な活動として実っていきません。ICPCはスタートしたばかりですのでこれからどう積み重ねていくかです。楽しくなければ続きません。義務感やこうあるべきだとかの大所高所からでは続きません。逆に今治に外から人を集めようとするとそれも大事ですがそれだけに集中しないで身近なところで生活を楽しんでいくとその姿が外から見た時の魅力になるという組立方も必要でないかと思います。ICPCとして大きな目標を結集する前にメンバーが今すぐにでも出来る事を見つけて小規模であるが多様な活動をたくさん作りだすことが必要だと思います。地域の中に活動の資源をたくさん増やしていくことですが、新しく作らなくてもネットワークを繋いで話合っていく中でヒントが見つかり発見になると思います。小さな活動の中で節目ではグループの中で確認を行う。確認すると達成感が生まれます。その達成感を仲間で共有することでプライドが生まれます。

 

ワークショップの進め方説明

 セッション1 ワークショップは人との出会いを作ることです。その出会いの中で自分の出来そうな事を見つける場です。今日は次の4つの「賑わい」「支え合い」「歴史・文化」「環境」のグループに分かれて多様な価値観の中から同じ価値観を持った人と座っていただいています。最初のセッションで所属と名前だけの自己紹介をして例えば今治の環境についてはこういう課題があることやこういう問題意識を持っている等をそれぞれ発表しながら議論していただく。その後この課題にはこうすればいいのではないかを話し合います。課題や自分のやりたいことの共有です。

セッション2

一人残して場所を入れ替わります。宿主といいますが、4人の場合は3人が別のグループに移動して、移動することをここでは旅をするといいますが新しいグループで前のグループではこういう課題があり、こういうアイデアが出たと報告します。共通の課題や接点はないのかを話し合います。

セッション3

元のグループに戻って、移動したグループでの報告をして、接点が見つかったから一緒にできるかもしれない等の連携のアイデアを話し合います。最後に自分のグループの中で共有できたらこれが一番大事な事を決めて、課題を解決するための具体的なアクションを発表することを目的とします。

注意事項

1 人の話を良く聞く 発言が終わるまで待つ

2 一人があまり長く話さない たくさんの人がたくさん意見できるように

3 考えを整理してから話す

4 人の意見を否定しない

興味がある事柄を紙に書いていく。書く事で頭の中に印象づける

まとめ

・15分弱でテーブルで意見をまとめてこれが一番大事だと思うことをB4用紙にキーワードとして書いてホワイトボードに張る

・別の紙に大事なことを活かしてこうしてみたいという行動のアイデアを書く

・他グループと連携のアイデアがある場合は連携先のグループ名も書く

今治を語るワークショップ 

 「今治に何が必要なのか」「今治は何をすればいいのか」

1班 にぎわい(商業・産業・農林水産業・雇用)

   魅力の発掘、焼き鳥などあるものを郷土料理としてとらえて発信、しまなみの情報発信、今治城、イルカ・自転車・ヨット、まちなか居住、小中学校統廃合の土地利用、中心市街地居住者の実態調査、若い世代の参加やもてなしの心

2班 助け合い(福祉・子育て・教育・地域コミュニティー)

    まちにある物を市民が知る、市民の誇りと関心を高める、情報交換、今治大好き大会

3班 歴史・文化(祭り・歴史・文化・港)

   地域の特性を認識する、来島海峡、瀬戸内海などを今治の中で認識、しまなみ海道や坂の上の雲を今治にどう活かしていくのか、観光客をどう受け入れるのか、金星川の片側を公園にする、港のブランド化、環境豊かなまちづくり班との連携、歴史を掘り起こすために史談会と連携して情報発信

4班 環境(眺望・景観・自然)

   海、もてなす心、知る、楽しむ、歩く・・・・・知ると楽しくなる 楽しくなるともっと知りたくなる 人がつながる、自然を守る、マリンスポーツ、車の必要がない歩いて生活できるまち、住宅のシンボルカラーの制定、ブログによるまちづくり(景観写真)

気に入ったテーマ3つに投票

1班 まちなか居住、にぎわいの創出、しまなみの情報発信、島・海・橋を活かしたイベント

2班 誇りと関心を高めるための今治大好き大会

3班 港のブランド化

4班 知る・楽しむ・歩く

 

こうした初めて会った人の意見を引き出す手法をみなさんの活動にも活かしていただきたいです。普通の話し合いは意見を言う人と言わない人が分かれますが、ワールドカフェでは皆が均等に話せる仕組みが必要です。最初は話にくそうでしたが、すぐに活発になりさすがに今治で様々活動をしてきた方々だなと関心しました。更に他市ではこれだけ市議の方が市民の会合に入って1個人として議論することがあまりないので遠い存在と思っていた議員と話すことで身近に感じられて良かったとの感想もありました。これで結論という訳ではありませんが、今日の集約ではこういう結果になりました。

にぎわいのあるまちづくり

 

助けあいのあるまちづくり 

歴史・文化を伝えるまちづくり 

 

環境豊かなまちづくり 

第8回今治シビックプライドスクール開催報告

 

「新たな協同の絆で地域の活性化を」

日時:平成22年3月16日(火)

午後6時30分~午後8時00分

場所:美須賀コミュニティプラザ

講師:愛媛大学社会連携推進機構教授

       村田 武

聴講者 26名

はじめに

 愛媛大学は四国中央市と今治市と宇和島市にサテライトを出しています。四国中央市と今治市は人員の配置をしておりません。昨年愛媛大学農学部を定年になり特命教員として残してもらい、地域担当で宇和島のサテライトとして連携協定を結んでいます。場所は市民に見えるように中心商店街のきさいやロードの袋町商店街に置いております。宇和島市は元々市民サービスセンターを置いており、商店街休みの木曜日と元日以外は各種証明書発行がそこで出来るようにしています。ここではコミュニティビジネスの立ち上げをバックアップしている。「真珠やかんきつから新商品は生まれないか」とか「農協食品部の女性が事業を起こすなら法人化しませんか」と中小企業中央会の専門家とつないだりしています。

 何故中心商店街で事業展開をしているかというと宇和島の商店街もシャッター通りとなってきています。ただローカルスーパーがあり地域の高齢者の生活を支えているのでまだ何とか頑張っています。ただし本屋は1軒もなく、映画館も最盛期8館あったのが無くなりました。南予の映画館は大洲にしかありません。地域から映画館が消えるのは文化が消えるということ。宇和島はかんきつや養殖で稼いだ所得が中心商店街で消費されて成り立っていました。航路もたくさんありましたが、航路縮小の中で「港町宇和島」とは誰も言いません。

 このような背景の中で一昨年旧西海町役場の2階,3階を愛南町が1億円で改修し、愛媛大学に無償貸与してくれました。そこに南予水産研究センターが立ち上がりました。今年の4月には農学部大学院が紙産業農学院として四国中央市に立ち上がります。このように愛媛大学の地域貢献はサブキャンパスを県下に配置していくことに重点を置いています。

これからは人材育成だということで2年間準備して平成24年度に愛媛大学宇和島自然学校を開校したいと思っています。地域の子どもに自然学習を体験させたい。場所は城南中学校と統合して廃校になる予定の宇和海中学校を考えています。

 今治との関わりは、まちづくり研究会(砂田会長)との事業で平成19年3月24日に「今治18万市民のまちづくり」というシンポジウムの中で今治のまちづくりを考えるという基調講演を行いました。新今治市の強みは豊な海、里、山であると。歴史・文化創造のまちづくり、人材育成のまちづくりが課題ではないかという中で今治にはどういった中心市街地が必要か。地域で生み出された所得は地域で生み出された物の商品に向かうのが望ましい。地域の小売業が地域の生産者によりよい商品を求める。それを通じて地域経済を底上げすることが重要です。そういったことで今治には中心市街地は必要だろうと思います。ただしかつての栄光の中心部である必要はありません。都市の中心部が賑わいを持ち、人々を引きつけるのはそこが華やかな商品の舞台であるからです。中心市街地に求められるのは商業機能の強化に加えて、遊び、学べる新しい生活文化都市として今治のまちづくりを象徴するものであるべきでなないかと思います。

 シンポジウムの前には新都市見直し市民委員会のメンバーとなりました。その後は大三島の安神山火災の復旧に愛媛大学農学部教授が取組み、平成18年10月に日本海岸林学会の中で山林火災と市民の森づくりで今治市大三島安神山火災と普及への市民参加という報告を行いました。また、しまなみの杜周辺エリア自然公園の利活用に関する研究で今治市が農学部に委託しました。自然と遊び、自然との共生を学ぶ今治市民の里山作りということで新都市の一番北の緑地公園のところにこういう公園がいいのではないかということで実験・体験ゾーン、里地・里山ゾーン、しまなみの杜自然学校という構想を提言しました。平成20年度からは今治市観光振興計画策定委員会の委員長を引き受けました。

 宇和島の中心商店街の活性化と並行して限界集落のことも考えています。このネーミングは良くないということで「ごっくん馬路村」の名付け親である松崎了三氏がギリギリランドにしようとしました。そして守りの姿勢から攻めの姿勢に転換して徹底して外から人を入れることを念頭にいきいき集落活性化事業で野村町惣川、大野が原、城川の窪野、明浜の高山を指定しました。国の補助金も使い集落応援隊を募集しました。東京のホテルオークラの総括責任者始め、神奈川など19人から応募があり書類選考、面接を経て3人を選び最低1年は住んでもらうことになりました。若い人に住んでもらい村の行事に参加してもらうことが重要だと思います。農村部の年金暮らしの高齢者が少しでも自分の作った野菜を運ぶ事が出来れば、少しでも収入の足しに出来ます。

 

1.なぜ、私たちの暮らしは苦しくなったか

  

(1)高度成長期につくられた労働者の生活保障システム

=ヨーロッパ型の福祉社会とは違い企業に依存して生活の安定を図る

 ・大企業の年功賃金と諸手当による直接賃金の上昇と企業の福利厚生に依存。

 ・労働者の大部分を占める中小企業労働者は直接賃金や福利厚生面でも大きく劣っていたが、日本経済が成長しているかぎり、大企業からの受注拡大で雇用は安定

(2)1990年代からこのシステムが機能停止

  1973年のオイルショックを契機に1バレル1ドルの安い原油を背景にした重厚長大型産業からの転換→しかし1985年のプラザ合意後の急激な円高で輸出企業は打撃→大企業が海外直接投資と外需依存を強め、自動車産業中心の経済構造に転換

 →国際競争に勝ち残るために国内工場の低コスト化圧力→企業収益を高めるための賃金抑制とリストラ・派遣労働者・外国人労働者依存を強行

   トヨタなどの大企業が「日本型多国籍企業」化(金属・機械工業の上位数10社が海外での生産も輸出も増やすために国際競争力の維持に全力をあげるための生産コストの引下げに躍起になった=下請け企業に対する取引条件、賃金など労働条件の引下げ圧力)

(3)90年代の度重なる景気対策による財政赤字膨張と小泉・竹中内閣の「構造改革」政策・規制緩和が、1億総中流から格差・貧困社会をつくりだし、内需を縮小させる方向に働いた。

 ・1999(平成11)年の派遣法改正で非正規労働者とワーキングプア・失業の激増

・2002(平成14)年度から毎年2,200億円の社会保障費抑制が始まり、国民に将来不安高まる

(4)個人消費の停滞と貧困率上昇

・内需の6割を占める個人消費(家計最終消費支出)が停滞

・内需の2割を占める民間設備投資がふるわなかった→地方からの企業撤退

・大規模小売店舗の出店規制緩和(1992年)による大型店の出店ラッシュ

  →商店街と地域商業の空洞化  

・バブル崩壊による地価下落→土地資産価値の継続的低下は、借入金で土地や住宅を購入した企業や家計にとっての債務負担増大

2.暮らしをどう立て直すか

(1)競争礼賛から共助・協同の政治への転換が求められる 

     (二宮尊徳の「報徳社仕法」に学ぶ)  

(2)「内需主導型経済」へ:まちづくりと地域産業起こし

  しかし内需主導といいながらアメリカがだめなら中国という外需依存のシフト

 ・新しい地域経済・国民生活再建の経済学の再興

①    食住に関わる文化型産業の振興(自動車や家電など機械系産業=文明型は国際的に共通機能をもちグローバル展開可能)

衣食住に関わる産業はもともと地域性、民族性に深い関係があり、国内生産が本来(地場産業といわれ、中小企業に支えられてきた産業)

②    農林水産業・地場産業の再生、豊かな地域内の経済循環による地域ごとの再生産構造(地域内産業の再構成)を立て直す

・  地方中核都市の中心市街地を、子育て世代と高齢者が安心して住めるまちづくり

・ 「地産・地商・地消」:中心商店街の再生が中心市街地の再生には必要

   それには商業機能だけでは商店街の再生は不可能。拠点性が持てない。郊外店の隆盛も原因。例えばJA越智今治のさいさいきて屋や直売所の売上高では全国でトップ3くらい。こういった店舗のサテライト店を商店街に誘致すれば中心部の高齢者が安心して食料品、惣菜類を買える。安心して暮らせる

  松山では大街道と銀天街の交差するところに「ぎんこい市場」をオープンし地域高齢者を支えている

・中心市街地の中での拠点としての商店街の位置付をどうするか

小中学校の統廃合問題→高齢者施設と教育施設の一体・・・京都 御池中学校

施設を分散させないで多様な世代を1か所に集める

人口5万人~10万人の小規模の都市の中心市街地はコンパクトでないといけない

   市役所、公民館、市民病院、図書館などを集約すれば、用が無くても商店街に人が通る

・  教育・文化:生涯学習と地域に文化を=人材・次世代の育成を東京任せにしない(掛川市生涯学習都市宣言に学ぶ)二宮尊徳の精神をまちづくりの方針に掲げている

街格をつくりながら人材育成し市民の新しい文化を作ろう→知の拠点

今治が生み出した世界的な建築家丹下健三を活かす

都市デザインを中心にした大学院を大丸跡地に創設(先端技術大学院 奈良と石川)定員1学年10人程度→若い学生を中心部に呼ばないといけない

 

 

 

おわりに

 

港だけでは広域今治を扶養させることはできない

 ・フランスの港町「ナント」の再興

  製鉄、造船業で栄えたが停滞→交通の要衝から文化都市へとシフト ナント大学、ナント大聖堂

 

  今治が四国5番目の都市としてどうするか。港町神戸でさえ今は「みなとまち」とは言わない 元町等新しい商業文化が支えている 今治も港町にこだわらず自由な発想で考えてみては

  日本は政治が生活の中に入ってない もっと政治と文化を生活の中に取り入れることが重要

第7回今治シビックプライドスクール開催報告

 

「みなと再生とまちづくり」

日時:平成22年3月9日(火)

午後6時30分~午後8時00分

場所:美須賀コミュニティプラザ

講師:㈱地域計画建築研究所

       大阪事務所長 森脇 宏

 まちづくりのコンサルタントをやっています森脇と申します。よろしくお願いします。今治のことをよく知っている訳ではありませんが、外からお客さんを呼ぶ場合、中の人だけでは分からない部分もありますので、その辺で参考になるお話ができれば、と思っています。

 本日のお話は、前半で弊社が携わったみなと再生の事例を、今治にとっての教訓を意識しながらご紹介いたします。そして後半では、私に与えられたテーマ「みなと再生とまちづくり」について、皆さんと一緒に考えてみることにします。

 

1 弊社が携わった「みなと再生」の紹介

(1)高松港(サンポート高松)

      瀬戸大橋開通の影響で宇高連絡船が1988年に廃止になり、高松が地盤沈下をするのではないかとの危惧があり、連絡船ふ頭の跡地やJRの貨物ヤード移転跡地等を活かして再開発しようと計画が始まりました。私は1983年から93年まで10年間、高松に通い、当時の国土庁、建設省、運輸省、通産省の合同調査から始まり、その後、高松港の港湾計画、ポートルネッサンス調査、景観調査、旅客ターミナルビルの調査などを担当しました。現在、港湾部分は大体整備できていますが、建物部分は、まだ半分できたくらいの段階です。

計画面で評価できることは幾つかありますが、私が提案した「瀬戸の都・高松」というキャッチもその一つだと思います。これで、どんな再開発をするのか、イメージが絞られたと思います。このキャッチは、4省庁の合同調査の委員会で、「四国の県庁所在地の中で、これだけ港と街が近い都市は高松しかない」という意見があり、これを取り入れて提案しました。

いずれにせよ、高松は今治の倍ほどの人口があり、しかも四国の玄関口で、県庁所在都市でもあり、JRと私鉄が直結しているなど、恵まれた条件がありました。それでも、まだ整備は途中段階ということに留意すべきだと思います。

(2)石川県 七尾港(七尾フィッシャーマンズワーフ)

   石川県・能登半島にある七尾市のフィッシャーマンズワーフです。1階が水産中心の物販、2階が飲食でなかなか盛況です。事業主体は香島津という第3セクターです。県と市が出資していますが、地元経済界が主導する第3セクターです。七尾市の人口は約6万人ですが、年間利用者は90万人にも上って黒字経営で、第3セクターの優等生と言われています。

この事業は、地元の青年会議所が大きい働きをしました。1985年に七尾市民大学講座という勉強会を年6回開催し、翌年に市民アンケートを実施して「七尾マリンシティ」構想を提唱しました。同年、行政や各団体に参加してもらい、七尾マリンシティ推進協議会を発足し、87年~88年にポートルネッサンス21調査を行い、フィッシャーマンズワーフ等の計画を立ち上げました。さらに、89年~90年に能登国際テント村を開催し、金沢まで広報活動を行って約16万人を集客し、品揃えや、売れ筋商品の調査も行いました。これなら行けるとの判断から、90年に株式会社「香島津」を設立し、翌年、民活法の特定施設「旅客ターミナル施設」の認定を受け、同年9月にオープンしました。

成功要因は初期投資を徹底して抑えたことと、民間主導の3セクだったため責任が明確化できたことだと思います。また、近くに和倉温泉(年間150万人の宿泊客)があったことも要因だと思います。

七尾の事例は、人づくりの点でもたいへん優れています。毎年、アメリカのモントレーに視察団を派遣し、何人かの子供もホームステイに連れて行っています。ホームステイに行った子供が、その後、大学で「まちづくり」を学び、「まちづくり」のコンサルタントに就職誌、現在七尾に帰って活躍しています。こうしたことも含めて、フィッシャーマンズワーフ以降も様々な取り組みが続き、七尾は地方の小都市ながら、元気があるまちとの評価を受けています。

(3)徳島県 小松島港(みなと交流センター)

    1998年に明石海峡大橋が開通した影響で、翌年に南海フェリーが休止、その後廃止となり、南海フェリーターミナルビルも遊休化してしまいました。港を何とかしようと「小松島港ワークショップ」が開催され、フェリーターミナルビルの利用アイデアが数多く出され、そのアイデアを「小松島港本港地区等活性化検討委員会」に報告するという形で議論がスタートしました。小松島の発祥は港であり、港がさびれるのは心苦しいと、市民が奮起をしました。2000年にはフェリーターミナルビルが小松島市に譲渡され、再度ワークショップを行い、「小松島港港利用企画調査委員会」で検討しながら、フリーマーケットを開催したり、ターミナルビルの無料開放などに取り組みました。そういった実験をしていくうちに、管理はどうするかという議論になり、NPOが検討され、2001年にNPO法人「港づくりファンタジーハーバーこまつしま」が設立されました。ターミナルビルは「小松島みなと交流センターkokoro」という名前になり、NPOが管理できるように「小松島市交流センター条例」も市議会で議決されました。

NPOの業務としては、ターミナルビルの管理運営、ビジターハーバーの管理運営、市の友好都市である北海道紋別町との地域交流事業、コンサート・フリーマーケット等のイベント企画・運営事業、まちづくりセミナーの研修等を行っています。

成功の要因としては、市民参加の計画、管理が重要でした。ワークショップを通じて市民の声を集め、徳島大学の山中教授に適切なご指導も受け、市民を応援する行政の存在もありました。人口約4万人の小松島市でも、これくらいのことができるのです。

2 「みなと再生とまちづくり」とは何か

    それでは、以上の事例を頭の片隅におきながら、いただいたテーマ「みなと再生とまちづくり」について考えてみましょう。本来、皆さんと議論して考えるものですが、本日は想像でお話ししてみます。

まず、「みなと再生」の目的と目標を考えてみました。目的(何故、再生するのか)としては、おそらく「みなとを活かしてまちづくりに活用したい」ということだと思います。それでは、目標(どんなみなとに再生するのか)はどうでしょうか。報告書「みなと再生構想」を読んでみると、「市民や観光客の憩いの場」にしたいようで、キーワードとして、楽しい、賑わい、感動、交流などが挙げられそうです。

さらに、「まちづくりの課題」についても想像してみました。おそらく「今治駅~今治港の間の中心市街地の活性化」が大きく、「住民が減って、高齢化している」「買い物客が来なくなり、空き店舗も増えている」などが問題になっていると予想されます。さらに、「みなと活用」の観点からすると、「市民や観光客がみなとで親しめる場所がない」「旅客船の乗降客もみなとを素通りしている」「みなとで成長してきた今治のDNAが途絶えてしまう」も課題かもしれません。

このように考えますと、「みなとに期待される役割」が見えてきて、「みなとまち今治のシンボルエリア」となるのではないでしょうか。例えば、「市外から来た自分の知人を連れて行って自慢できるところ」「お洒落して出かけることができるお洒落な場所」「今治独自の情報や最新の情報が全て集まるところ」として位置づけてはどうでしょうか。

3 「みなと再生」の方向性

こうした考え方で「みなと再生」の方向性を考える前に、今治らしさを打ち出すため、活用できる素材を確認しておきます。

思いつくままに挙げますと、目の前に広がる多島美、旅客船・フェリー、内港の船だまり、漁港、今治城などがあり、これだけ多様な景観要素が揃っているみなとまちは、四国では一番ではないかと思います。全国的に見ても、横浜、神戸を別格とすれば、函館、舞鶴、門司、長崎、鹿児島など、数える程度だと思います。ただ、素材は素晴らしいのですが、綺麗に磨き上げる必要があると思います。

こうした素材を活かした「再生の方向性」を考えますと、「眺望を売りにしたお洒落な住宅」「時代の最先端を行く産業、例えばITやベンチャー)のオフィス」「瀬戸内海の特産品を体験できる店」などが思いつきますが、この辺のイメージは、最後にもう一度触れることにします。

4 「みなと再生」事業の進め方

      「みなと再生」については、方向性と同時に事業化の方法を考える必要があります。事業化を考えずに議論することは、「絵に描いた餅」にしかすぎません。事業化検討では、次の3点が重要だと思います。

まず1点目は、コスト抑制型(ストック活用型)で進めることです。行政の財政事情も厳しい中、いかに既存のものを利用して、コストを抑制するかが重要で、七尾や小松島を参考にしてください。

2点目は、協働型(市民、企業、行政による協議会方式)で進めることです。行政中心で行うには柔軟性が欠けるなど困難が多く、とは言っても行政以外の単独事業体でもリスクが多いため、多様な主体の協働が必要です。ただ、多様な主体がバラバラに取り組まないように、ミッションの共有化や、ベクトルの統合化ができる協議会が必要です。また、こうした協議会があることで、市民や企業は安心して取り組めるし、行政も支援しやすい状態が生じることになります。

3点目は、有志による事業主体づくり(この指とまれ方式)が重要です。個々の事業は、多様な主体の「どこか」が担当してくれればいいのですが、そういう主体がなければ新たにつくるしかありません。この点でも、七尾と小松島は参考になると思います。

5 何ができるのか

      以上の事業の進め方も考慮した上で、最後に「何ができるのか」について、思いつき的な提案をしてみます。十分検討したものではありませんので、間違っているかもしれませんが、議論のたたき台にしてください。

まず、住んでもらうために「何ができるのか」です。海の眺望が楽しめるお洒落な住宅、例えばプレジャーボート係留権付き住宅などが有力です。いい場所があれば民間でも可能な事業です。

次に、働いてもらうために「何ができるのか」です。低未利用ビルがあれば活用したいところです。例えば、アーティストの創作・発表空間、先端企業のオフィス、ユニークな実験的レストランなどがあり、これらは家賃負担力が脆弱なので、比較的低家賃の古いビルや低未利用ビル等の提供が必要です。既に各地で、こうした活用の萌芽的取り組みが始まっています。

最後に、遊んでもらうために「何ができるのか」です。私個人の好みになりますが、瀬戸内海の幸(さち)が「丸かじり」できるところがほしいと思います。漁港もあり、イメージが活かせますし、観光魚市場は比較的手堅い事業だと思います。事例でご紹介した七尾フィッシャーマンズワーフもそうですし、中小業者だけで取り組んでいる舞鶴とれとれセンターも年間70万人を集めています。

最後は、議論の取っ掛かりとして、思いつきをお話ししましたが、少しでも参考にしていただいて、何か一つでも動きが出来ればなあ、と思っています。ご静聴ありがとうございました。

第6回今治シビックプライドスクール開催報告

「都市再生における建築の役割」

 

日時:平成22年2月26日(金)

午後6時30分~午後8時00分

場所:美須賀コミュニティプラザ

講師:東京大学生産技術研究所

   講師 太田浩史

1 イントロダクション

  私は東京育ちですが、今治は何度も訪れ、準市民みたいに思っています。

  都市再生の事例を紹介していきますが、 二つのことを述べて行きたいと思います。一つは建築が大事だということ。もう一つは楽しさが大事だと思っています。今は日本全体に沈んだ気持ちがあると思いますが、それをどうやって明るさを見つけて行こうかと考えております。

  【世界の都市の分布を視覚化したものをムービーで紹介】

   10万人を1階建てのビルとして立体的に表現。東京だと120階建てのビルに相当。全体を4楽章に分けて人口増加を表しています。1日に人口が14万人増えています。1週間では100万人都市人口が増えています。第2楽章は飛行機の航路をムンバイからフランクフルトまで表しています。ヨーロッパは10万20万人クラスの都市が多く分布しています。次は空港のネットワークです。ロンドンに線が多く伸びて、ハブになっている状況を示します。ヨーロッパの中でもイギリス、ドイツ、オランダのような工業国はスペイン、フランスなどとは違う人口分布になっています。このムービーは5人で制作し、私が主に脚本やディレクションを行いました。

   21世紀になって世界の人口の内、都市人口が半分を占めるようになり、残りの半分が農村人口だと言われています。20世紀初頭は16億人の内、都市人口は2億人でした。人口分布をみますと、人口50万人以下の都市に住む人の割合が非常に高いです。世界的に人口20万クラスの都市が実験性、多様性を担っていると言えます。都市が嫌いと言われる方もいますが、都市が問題を作り、同時にサービスと提供し、また、貧困を救う面も持っています。

そういった事を考えて、世界の都市を見て回ろうと年間20都市くらいを回り始めたのが東大都市再生センターの研究員の頃です。世界の都市の事例を紹介している場が無かったので、2007年には世界の都市100選という本を作り、丸の内の地下で展示をしました。

2 世界の都市再生の事例紹介

  EUでは都市再生が政策として大きな位置を占めています。ヨーロッパは都市再生と地方分権が密接に関わっているのでうまく行きます。フランスのボルドーはトラムを敷設し、歩行者天国をたくさん作りました。イギリスのブラッドフォードは映像を作り、映画館や学校で流して市民の気持ちを前向きにして都市再生を進めました。都市再生は開発が第一では無くて、イギリスは教育や思想改革を行いました。社会的弱者にも都市再生の構成員ですよと自負心を育てました。アイルランドのダブリンも興味を引く映像で市民との情報共有と聴衆を集めることに力を入れました。コロンビアのメディジンは麻薬の取り引きが横行して、悪名高い街でしたが、若い市長が改革して誘拐が年間3,000件あったのが300件まで激減しました。密集市街地で道路が作れないので、ケーブルカーを引いて貧困地区の交通網を整備しました。その駅に公共広場を作り、図書館を作り、教育の街へ変貌を遂げました。都市再生は、教育や、マイノリティーの解決や雇用創出などと密接に繋がります。

3 都市再生における建築の役割

 1 Acupuncture  ―場所に力を与え、都市空間を再編する  都市のつぼを押さえ活性化させる    バーミンガム、コペンハーゲン、バルセロナなど

 〈バーミンガムの事例〉

   イギリス産業革命発祥の地でイギリス有数の工業都市でした。それによりドイツ軍の爆撃を受けて戦後モダニズムの都市計画が実現されて高速道路の建設により街が分断されました。車全盛の交通でバラバラになった都市構造をつなぎ直そうと街づくりを始めました。市がマスタープランを作り、20年をかけて公共空間を中心に歩行者専用道でつないでいきます。端と端にはショッピングセンターを作り、回遊できるようにしました。建築もネットワークに会った建築配置計画になっています。場所によって、年代も、建築家も違っていても計画通りに進められています。街を作るのは時間もかかりますが、意図は受け継がれて行っています。

 コペンハーゲンのストロイエ(歩行者天国)事例

   車中心の街になって、駐車場で埋め尽くされてきた。これは人間的ではないということで1962年から歩行者空間を大事にしようとする取り組みが始められました。

  公共空間の重要性をコペンハーゲン大学教授が30年以上調査し市に提言してきました。この調査はメルボルン、アデレード、ニューヨークなどの公共空間に影響を与えました。

 バルセロナの事例

   1980年代から中心市街地の密集地帯をネットワークでつなごうとしました。各施設に特徴を持たせ、例えばマーケットは平日の午前の建物で、オペラ座は週末の午後の建物という風にです。大きい広場がありますが、これはかつて非常に密集していた街区でした。これを壊して、パブリックスペースを作りました。風通しを良くして、場所場所をつないでいく手法です。

2 Modality   ―様相    都市に景観や動きを与える  ニューカッスルゲーツヘッド、リヨンなど  

  

ナントの事例

  都市に全然違うスケールを出現させて、皆が参加できる仕掛けが重要だと考えます。ロワイヤル・ド・リュクス劇団ですが、 私は彼らがパブリックアーどの世界一だと思っていますが、昨年の10月にベルリンでデビューしたとき街が別のスケールに見えました。高さ5mの巨大な女の子と14mの象の人形が街を練り歩く光景に圧倒されました。作ったのはフランスのナント市です。人口20万ほどですが、これが世界のコンテンツとなっています。また、熱狂の日々というコンサートも開発し、ビルバオや金沢にも出しています。文化を作って、世界に売っていくという仕掛けは文化で生きていこうという街には重要です。

ニューカッスルゲイツヘッドの事例

  かつては軍艦の4分の1を造っていたほどの工業都市でしたが70年代くらいから大変な不況に見舞われて、失業率も25パーセントを超え、栄光が失われて行きました。そこで重工業を捨てて文化で再生しようとしました。エンジェル・オブ・ノースを作って変化が表れました。最初は市民の7割が反対しました。市民に重要性を解ってもらうために、様々なワークショップを行いました。学校に広める活動もしました。

 彫刻家は失われた二つの街の産業を象徴したかったそうです。造船の技術を使って造船所で皆で作りました。また炭鉱でも栄えていましたので、その炭鉱の跡地に建てようとしました。この二つのシンボルがシビックプライドだということに市民も気づき始め、高さ20m、幅54mの巨大な像が出来た瞬間に賛成が7割になりました。炭鉱跡地は風の強い所で、エンジェルがその強い風を両手で受け止めていることを逆境に負けないという態度になるほどそういうことだったのかと気づきました。エンジェルが出来てから3つのプロジェクトが出来ました。使われなくなったサイロを美術館に改装したり、ミレニアムブリッジを作り、音楽ホールが出来ました。ブリッジは船が来ると橋が傾いて航行できるようになります。この光景見たさに全英から見学者が訪れます。

イギリスでは建設から竣工までをデリバリーと呼びます。図面に描いたものをユーザーに届けます。やはり自分の街に橋が届けられたら忘れられないと思います。市内45万人の内6万人が見たと言われています。公共建築はどうしてこういうことをしないのかと思います。個人の建物みたいに街が上棟式をして、施主と施工業者がもっとコミュニケーションを図ればいいと思います。

この3つの建築だけではなく、文化プログラムも併せて作り、ミレニアムブリッジで花火を打ち上げたり、造船所跡地で映画を観賞したり、その文化的な事がどうして大事なのかをニューカッスル大学の教授が調査しとところ、ほとんどの人が街のイメージが上がったと答え、若者が芸術の才能を伸ばす機会が増えたとの回答が出ました。

 リヨンの事例

    フランス第2の都市で商業が発達しています。織機を発明して世界に売り出した。1997年には世界遺産登録されましたが、同時に街中のライトアップを仕掛けていきました。リヨン出身で映画の生みの親と言われるリュミエール兄弟がおります。1852年12月8日、フルヴィエールの聖堂に設置されたマリア像を市民が光で祝ったことから、12月8日の伝説として、また兄弟の出身地であることから光=リュミエールの都市とし光のマスタープランを作りました。5年間で公共の建物16か所、民間の建物79か所をライトアップしました。そして、12月8日から4日間「光の祭典」を開催し街の証明に関するパブリックアートをあちこちで繰り広げます。ヨーロッパの冬は長く寒いので娯楽を求めて、このイベントに2004年度は400万人が訪れました。この光の計画により、新たな産業の創生も生まれました。アーチストに変わった光の使い方を提案させようということでそこで技術開発が行われました。その技術を世界に売って国際照明都市連盟を作り、リヨンは永久議長市になっています。都市の魅力を活かしてテーマを持って都市再生することで雇用をも生み出す好例と言えます。

3 Civic Pride         

    一番の例がシドニーのオペラハウスで、一つの建築が都市を表現して、あるいは国の顔になるくらいのインパクトです。イタリアの港湾都市ジェノバですが、ベネチアと覇権を争い17世紀全盛を誇りましたが、港が発展することで施設によって、海が遠くなり、街が分断され19世紀に産業を失いました。そこで銀座のメゾン・エルメスや関西国際空港でも有名な建築家のレント・ピアノが港と街の結びつきを取り戻そうと高速道路を埋める計画を立てました。結果的に一部しか埋めることができませんでしたが、再び街と港をつなぐことが出来ました。また、木綿倉庫を国際展示場にリノベーションしました。もう一つのシンボル的なもので起重機の「Bigo」があります。これは船のマストをイメージしたものです。かつてジェノバの港にたくさん寄港していた船をもう一度現代建築で表現しようとしました。これがジェノバの心だと。まさにシビックプライドだと思います。これらの建築をネットワークでつなぎハーモニーが生まれ、他都市に波及しました。ジェノバも最初にボルチモアの港再生にヒントを得、その後、ベルリンやハンブルグに伝わりました。この様に都市の再生はよそを真似して自分のものにしています。それには事例を知っていることが重要です。

今治は建築の街だと思います。丹下建築が多数あり、伊藤ミュージアムの建築が予定されたりしていますが、大事なのは建築そのものよりもそれらがどうハーモニーを奏でるか。場所と場所の血行をどう良くするか。みなと再生の時も、港だけではなく、広い範囲で描いていたと思いますが、市役所と港の連携、商店街と港の連携、今治城との連携。すべて含めて考えないと行けません。

   4 今後考えていること

    今治市と繋がりが出来て港湾都市というものを考えまして、港湾都市だから難しい事があると思います。特に中小都市の港湾はどうすべきか。これは今治だけの問題ではなく港湾都市同士がどういうネットワークを持ってやり方を学んでいくか、都市間競争ではなく、都市間協力をどうするかを考えると、バルト海や黒海沿岸には港湾都市連合があって、私は地中海港湾都市アライアンス研究で地中海の港湾都市にはどこにでも行くことができます。東大でジェノバ、パレルモン、ナポリの港湾都市連携を研究していて、港湾都市ならではの都市間協力を考えると今治ー尾道間も考えられますし、鞆の浦や呉など瀬戸内港湾都市ネットワークがあってもいいのではないかと思います。そのことを横浜市立大の鈴木伸治教授や神戸大の槻橋教授と考えています。

    都市再生における建築は都市がオーケストラだとすると打楽器くらいだと思っています。ソリストではなくて、リズムを作りながらたまに大きい音を鳴らすくらいがいいと思います。木管楽器が人間であったり食べ物であったり、建築は他の楽器の旋律を知らないで音量を間違えてはいけないと思います。いずれにしても建築がない都市は面白くないということです。

Home > Archives > 2010-03

Search
Feeds
Meta

Return to page top