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2009-11

第2回今治シビックプライドスクール開催報告

第2回今治シビックプライドスクールは日鮮海運 代表取締役社長 阿部 克也さんを講師に迎え開催しました。講演内容「海運・造船と今治とみなと」です。

スクール内容を要約して記載します。

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1 今治地域に海運・造船産業が集積した背景

 約800年前、源平の合戦で村上水軍が活躍した頃に遡ります。水軍にもいろいろありますが、佐賀伊万里の松浦水軍、明の時代にも倭寇として恐れられていました。和歌山南部と一部三重が含まれます九鬼水軍。これは戦国時代に信長と組んで村上水軍を破りました。それから瀬戸内海東部の塩飽(しわく)水軍が有名です。

 源平合戦の時、源頼朝にとって西方の水軍を押えていた平家は強大な敵でありました。平家は厳島神社を造ったり山の神、海の神である大山祇神社にも信仰が厚かったといわれております。ところが、村上水軍は権勢を誇っていた平家が朝廷をないがしろにしたり奢り高ぶり堕落する様に見切りをつけて、源氏に見方をするようになりました。1185年、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしました。これはほとんど水上の戦いです。次に1281年元寇の時(弘安の役)、河野通有(1250年~? 伊予国久米郡の武将)が水軍を束ねて鎌倉幕府に加勢して蒙古を撃退しました。

 室町時代には1419年、村上水軍は能島、来島、因島と3つに分かれました。その方がいづれかが残るだろうと考えたと思います。伯方島の禅興寺(伯方町木浦甲 曹洞宗 能島村上水軍の菩提寺)は村上氏初代本家の村上雅房(1431年~1515年)が建立しました。

一番有名なのは5代目の武吉(1533年~1604年)ですが、この時代に水軍は隆盛を極めました。初代国分寺城主も務めました。その頃、中国地方では山内氏が勢力を伸ばしていました。まだ小大名だった毛利元就は厳島の戦い(1555年)で村上水軍は毛利に加勢して大勝利を収めました。その後、瀬戸内海を航行する船から警固料を徴収するシステムを確立し、勢力を拡大しました。しかし、信長は商業の自由化を推し進めていた中で、水軍の徴収システムが邪魔になり、敵対するようになりました。1576年第一次木津川口の戦いで九鬼水軍を完全に打ち破りましたが、2年後の第二次木津川口の戦いでは信長の考案した鉄甲船6隻からの大筒、大鉄砲により惨敗しました。しかしながら村上水軍はこの後も日本最大の水軍力を維持しました。1586年のルイス・フロイスの手記には村上水軍は大名にも匹敵すると書かれています。能島村上水軍は1588年、秀吉が通行料、警固料の徴収を禁止する海賊禁止令を公布したことにより大打撃を受けて今治からの配置換えも受けました。

村上水軍が残したものは、秋山真之が水軍の戦術をヒントに丁字戦法で日露戦争において勝利を収めました。愛媛県は総理大臣を輩出してませんが、県人は日本を2回救ったと思っております。元寇と日露戦争。この両方に水軍は大きな貢献をしています。水軍がいなかったら外国の属国になっていたかもしれません。

江戸時代は九州の大名が参勤交代で海路を使ったり、朝鮮通信使が12回日本に来ております。その警固を水軍が任されていました。警固と塩の運搬。

最盛期には瀬戸内の塩が全国の90%を占めていました。入浜式から流化式に変わり石炭の運搬が必要でした。友浦では鍛冶屋が多く釘や碇も運びました。それらによって維持してきました。近代では別子銅山の銅の運搬。別子から出た鉱石を四坂島に運ぶことで海運は発達しました。

 

 

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2 今治の海運産業の現況

今治市は合併により世界有数の造船・船主の多い市になりました。造船所の建造隻数は日本の17%です。今治市に拠点をおいている造船会社のグループ全体では日本全体の1/4を超えます。今治市の保有外航船は約800隻で、日本全体で2,300隻ですので約1/3は今治市が保有しています。日本の貿易の99.7%は船で運搬しています。その1/3は今治の船ということですね。

 昨今の不況で海運業界も影響を受けておりますが、コンテナ船、自動車船等はそれが顕著です。バラ積み船は石炭を運びますが、火力発電所は石炭が必要ですので、その需要により石炭を運ぶこの船は不況の影響がさほどありません。この船は小麦等も運びますが、要するに生活に密接な物資を運ぶ船は不況の影響が少ないですが、コンテナ船など製品を運ぶ船は影響を受けています。

 

 

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3 みなと再生を考える

 オスロのみなと再生を例にあげます。みなと再生委員にも入っていましたし、

いろんな意見を発信させていただいております。海運業を営んでいますので、今までの経験等を踏まえ直感で述べさせてもらいます。オスロはノルウエーの首都ですが、かつてオスロ中央駅から伸びる道路が栄えていました。今治でいうと駅から広小路といったところでしょうか。ノルウエーはバイキングが有名ですね。コロンブスが新大陸を発見する前からアメリカに行き来していました。

そういうバイキング精神を呼び戻せとみなと再生を進めました。現在はまだ途上ですが、見事に再生しております。

港には市庁舎があります。ここでノーベル平和賞が授与されます。港の特徴として、階段や柵がありません。ノルウエーでは自分の身は自分で守るのが基本とばかりに行政が過剰に介入しません。カフェやレストランがあり、上層階には居住スペースとなっています。統一感はありませんが、高級感があります。日本の場合、港には港機能しかありませんね。散歩する人、日光浴する人、カフェでくつろぐ人、思い思いに港を満喫しています。そして、海に面したビル群の2列目には海運会社や銀行の本店など、オスロを代表する企業が集積し、今やこの地区への立地はトップ企業のステータスになっています。現在も岸壁沿いにビルが建設ラッシュですが、ステータスを求め入居の順番待ちとなっています。

みなと再生委員会でも申しましたが、日本の場合港は用途の制限があり、居住等には使えません。同じ様な資料は当時再生委員会のメンバーにも提示しました。みなとに公園を作るという案もありますが、散歩やイベントなど一時的には賑わっても後に続きません。やはり人が住んで日常的に賑わうみなとがいいのではないかと思います。コペンハーゲンやハンブルグなどは新港に機能を移して従来のみなとは町として再生させています。今治においても、日常の賑わいを創出し、行政がお膳立てするだけでいいくらいのまちになればいいと思います。高知のひろめ市場みたいに何でも持ってくるような施設は長続きしないと思います。自ら入ってきたくなるようなステータスを作らないといけません。また、みなと周辺の商店街、内港の回り、問屋街も発展させたい。そうすることによって、地価が上がり、土地を売って次の商売ができるような好循環が出来ればと願っております。

第1回今治シビックプライドスクール開催報告

    第一回今治シビックプライドスクールが今治史談会会長 村上 正郎さんを講師に迎え開催しました。講演内容「歴史の中の今治とみなと」です。

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 港再生事業の政策転換を記事等で拝見しましたが、これは私が市長でも立ち止まると思います。

本田総一郎はいい車を作るためにアイデアを出せと言ったところ耳触りの良い案がたくさん出てきました。そこでデメリットは何かと聞いたらほとんどが無いとの答えだったので却下したそうです。いい物の裏には様々な障害がありそれを乗り越えるためにどうするかが大事で美辞麗句を並びたてる案は採用しなかったそうです。

それを踏まえた上で港再生というのは港務所の建物の話ではありません。船がまず大事。船の事を考えずに港再生と言えるのか。商店街が寂れたのは人の往来が少なくなったからではない。今はどうして人が来なくなったのか原因対策をしていません。結果対策のみです。確かに昔は今治は人が溢れていた。それは今治が瀬戸内海随一の交通ハブ都市だったから。その人の流れがあったから商店街が出来た。しかしその人だけに依存していたわけではありません。自分の子供の時は商店街に行けば楽しいことがあって、買い物を目的に商店街に行っていた。尾道連絡船の客も買い物はしていたが、ついでであって、本当に買い物をしていたのは市民であったはず。だから商店街は交通人口に頼らず他にしなければならないのではないかと思います。

 

 

【今治開港以前】

 日本は渡来人がやって来て始まりました。魏志倭人伝の頃には100余国があり、国といっても村のようなものであり、全部港だったようです。河口から水を求めて水源地を抑え、なわばりを作り村になり、村が国になっていくために交易ができる港や海が非常に大事でありました。今は船が不便だからと橋を架けるが橋は線だが海は面だから非常に便利です。港が無ければ国はできていなかったのです。

 日本が発展したのは港があったから。大きな工業地帯はほとんど海辺にあります。すぐに海から運べるので輸送コストが低い。ヨーロッパは陸地部にあるから海に行くまでに時間がかかりコスト高で日本に勝てない。日本においては港がいかに重要だったかがわかります。

 

 

 今治には国府がありましたが、今治に国府を作り国司が任命されたのは全国で6番目だが、5番目までは壬申の乱の論功行賞でそれ以外では今治が初めてです。

藤原京時代では唐にならって律令政治を整備するために公務員を任命し、行政を行う場所が必要でした。皇族の住居の延長上の都ではなく初めて本格的な都を造ろうとしてできたのが藤原京です。唐をモデルにしたかったが白村江の戦いで唐と断絶していたので当時周公坦が編集した周礼という教科書を参考に作りました。今治の国府は都のミニュチュア版であるが、その様式の国府は今治が初です。当時の港は今の材木団地の所。標高2.5mのところが湾曲しているがそれが昔の入り江の跡であり、竜登川、名切川、高下川3本の川は運河の跡だと思います。これは藤原京にも流れていた川と同じ配置です。

 

 

 藤堂高虎が作った今治城も全国初がたくさんあります。江戸時代の近世城郭様式は今治から始まっています。その様式発祥の記念碑を作っていいくらい。建物、堀、石垣全て日本初。城、商店街、港三位一体で作ったのは初めて。三重の堀の外側を商人が使える港としていました。高虎は天正時代に長崎に2回行き、南蛮人から大航海時代の話を聞き、当時は銀の含有量の多さから日本が世界の貿易の中心という話を聞き、泰平の世になった後は交易が大事だと認識し町づくりを行いました。

 

【今治開港以後】

今治は明治維新後、四国でいち早くヨーロッパを参考にした脱亜入欧政策で発展しました。それにより四国で一番早く貿易港になり、最初のキリスト教会を建て、いち早く物資の集積所となりました。

大正時代11年に四国初の開港場となりその翌年に港の第1期工事が完成し、広小路等街の基礎が出来始めました。大正14年には定期航空路が出来ました。堺から高松~今治とつなぎました。それは今治が貿易港だったのと鉄道もあり内航では尾道鉄道連絡船と東西南北の交通網がありました。空陸海全て揃っていたのは四国では初でした。ですから松山に空港を取られたのは誠に惜しいことです。物資は空陸海全て揃っているところに集まる。今治がそれを維持していればもっと発展していたでしょう。

戦後は自動車の発達でカーフェリーが出来ました。昭和34年に三原と就航し

翌年には下田水と就航しました。やがて客船の大型化に伴い、岸壁が整備され、貨物船も大型化していきました。しかし、内港は狭いので貨物と旅客を分ける必要があるので蔵敷に新港湾を作りました。昭和49年には今治港の乗降客が295万人とピークを迎えました。それから少しずつ減少し、しまなみ海道開通後は一気に100万人を割りました。貨物はというと新居浜港が昭和22年に貿易港に指定されましたが、それまでは税関が今治にしか無かったので今治を経由していましたが、貨物の取扱量も半分程度になりました。あまり減ると税関を閉鎖されてしまいますので材木の取扱量を増やし貯木場も出来、なんとかつなぎとめました。貨物においては旅客程減っていませんし、大量輸送の時代になりコンテナが必要になり、コンテナの仕分けも必要になってきます。新港湾にはコンテナヤードがあり、そこで仕分けて運送する一連の業務で最盛期ほどではないにせよ活況を呈しています。

 

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【直面する問題と対策】

港は船が出入りしてこそ意義があります。どうすれば船が出入りできるのか。定期航路は減少する中でどうするか。それにはクルージングが必要になってきます。相手があってこその港ですからネットワーク作りをしないといけません。

瀬戸内海が一体となって遠方から来ても滞在できるプランを作る必要があります。四国88か所はネットワークにより辺境の寺でも同じように人が来る。今治はネットワークを使いクルージングをすればいいと思います。幕末に英、蘭、仏、米の四国連合艦隊が下関を砲撃した帰りに瀬戸内海を通ってこんなにも次から次へと景色が変わる海は世界中どこにもないと絶賛していました。ヨーロッパの人達は1か所で見る景色より連続する景色に興味があるそうです。今、瀬戸内海で外国人が一番多い観光地は宮島です。今治とも近く宮島とつなぐ広域観光にはもってこいだと思います。

江戸時代に朝鮮通信使が下関を出て上関、蒲刈、鞆の浦、牛窓、室津、兵庫とつなぎました。現在は兵庫以外は主要な定期航路を外れています。牛窓はヨットハーバーと釣りです。よく東洋のエーゲ海と言われております。そこは岡山のリゾートエリアですから活況があります。鞆の浦は風光明媚です。その他の港は今治と同じで段々寂れてきています。では、今治はどうするべきか。持っている観光資源を活かすことです。合併により市の真ん中に海があります。こんなところは全国どこにもありません。ですから先進地に学ぶこともできない。だから今治がモデルを作ればいい。海でつながったまちですから橋という線ではつなぎきれない。海という面を使って広範囲につなぐ必要があります。

今、コンテナ船が全盛の時代で船が大型化しております。コンテナも大量に仕分けしないといけません。そこで赤帽が増えます。そうすると渡海船も増えないといけないのに何故増えない。島の住民の高齢化で橋を通行することもままならなくなり、病院に薬も取りに行けない。そこで渡海船が便利屋として代行サービスをすればいい。市が助成してでもするべきです。それに船はCO排出量も自動車よりも少ない。環境問題と高齢者対策両方が解決できます。

港というものは受け入れ先の港がないといけません。車にしても自宅に駐車場があっても行き先に駐車場が無ければ行くことが出来ても停められない。港もこれと同じでネットワークがないといけない。広域ネットワークで宮島と結ぶ。そこで今治港に受け入れ態勢を整えます。交流するためにはどういう建物が必要か待合室には船を待つ間の娯楽施設も必要だし来訪者に対する案内所等もてなしの気持ちで考えないといけません。ネットワークを構築し、交流するためにはオフィスビルではなく、交流できる建物が必要です。

海は常に動いております。判断を先送りしていたら命に関わります。刻々と変化する状況の中で先読みし判断する力が必要です。これを海の思想といいます。港を考える上でも思想教育が必要です。子供のための海の博物館を造りたい。中古の船を寄付してもらって岸壁に停泊させ、海の教育を行う。人材教育は子供のうちから始めてもいいのではないかと思います。そこまでして海事都市と言えるのではないかと。大消費地が近くに無いから海に投資をするしかない。ですから海運・造船が基幹産業になったのです。

これからを考える時には歴史を踏まえて考えないといけません。今治は常に歴史の中で先頭を行っていた。これからも他のモデルになれるまちであると考えております。

シビックプライドスクール講義一覧

 

今治シビックプライドスクール  

-歴史の中の今治とみなとー

講師 村上 正郎氏 今治史談会会長 今治文化協会会長

平成21年11月11日(水) 18:30~20:30

会場:今治市民会館 大会議室  

 

 今治シビックプライドセンター(ICPC)は交流拠点としてのみなとの賑わいを創出し、中心市街地再生へと波及させていく活動を行っています。

今治シビックプライドスクールは市民の方々に「いまばり」とは何者でどこから来てどこへ行くのかを考え、ICPCの活動の理解と協力を得ることを目的として御案内する連続講座です。

 第一期としてICPCの活動の拠点となる「みなと」地区を取り上げます。今治港は大正時代に四国初の開港場として発展し、瀬戸内海の交通の要衝として市民になくてはならない場所でした。しかし交通の港としての側面は衰退し、いま一度市民に親しまれる港の形を模索しています。

 今回は港とその周辺を様々な視点から読み解き、中心市街地再生の足掛りとしての「みなと」の共通認識を得ることを目指します。

 なお、来年度はみなとを基点として中心市街地再生を考える連続講座を開講予定です。

 

第2回 11月24日(火) 18:30~20:30

  「海運業と今治とみなと」 阿部克也 (日鮮海運株式会社 代表取締役社長)

第3回 12月 8日(火) 18:30~20:30

「今治商人とみなと」    村上哲朗 (今治商店街協同組合 理事)

第4回  1月19日(火) 18:30~20:30

  「しまなみ海道、今治の自然と人文」 小林真吾 (愛媛県総合科学博物館 学芸員)

第5回  2月 9日(火) 18:30~20:30

「瀬戸内海国立公園と今治」  桧垣淳夫、永田清美 (環境省中国四国地方環境事務所高松事務所松山自然保護官事務所) 

第6回  2月26日(金) 18:30~20:30

「今治のみなとと公共空間」 太田浩史 (東京大学生産技術研究所 講師) 

第7回  3月 9日(火) 18:30~20:30

 「みなと再生とまちづくり」   森脇 宏 (地域計画建築研究所)

第8回  3月16日(火) 18:30~20:30

「みなとから中心市街地を考える」 村田 武 (愛媛大学 特命教授)

 

■ 募集人員:30名程度

  2回目以降連続受講できる方を募集します

■ 受講料:無料

■ 開講場所

     1回 今治市民会館大会議室 

     第2回~第8回

    美須賀コミュニティプラザ 会議室 

■ 主催者および問合せ先

主催者     今治シビックプライドセンター協議会

       (Imabari Civic Pride Center) 

問合せ先  :  シビックプライドクール事務局

    ICPC協議会事務局 Tel0898 – 32 – 5126

   今治市市街地再生課 Tel0898 -36  – 1551

注) スクール中の写真をHPやポスター、ちらし

   等に使用することがあります

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